水泳の研究の歴史は、「どうすれば人は水の中で効率良く前に進めるのか?」という問いを追い続けてきた軌跡でもあります。
以前のコラムでは、水泳とは 「いかに抵抗を減らすか」 そして 「その上で抵抗を扱えるか」 が重要だとお伝えしました。
今回は、「いかに抵抗を扱えるか?」の根幹である、推進力の研究についてまとめてみました。
ジュニアアスリートも学生アスリートも、スイミングスクールでクロール習得を目指すお子さまも、より美しく泳ぎたいシニア世代も、水泳の推進力の理解は、すべての世代・レベルの上達に直接関わるテーマです。
水泳理論の歴史を紐解くことで、日々のレッスンや自主トレのヒントが生まれ、より効率的な吸収につながるかもしれません。
早速ご紹介していきます。ハイボリュームです(笑)
水泳の研究の歴史「水を押せば進む(抗力)」で始まる水泳科学
水泳の研究の歴史人の体をパドルやオールに見立てた時代
1900年代の初頭には、人間の腕をボートのオールや外輪船の水車などに例えてスイマーの推進力を説明していました。
この理論では、図に示すように、ヒジを伸ばしたままオールや水車のように回転させて水中を進むと説明されており、スイマーの動きなどとは全く無関係に提唱されていました。
1900年代当時に分かっていたさまざまな道具による推進力の仕組みを、人間にあてはめて説明していたのです。
この理論は確かな検証もなされないまま、数10年も使用されていました。

Swimming Fastest p24 より引用
水泳の研究の歴史物理法則を研究し始めた時代
科学者や水泳のコーチたちが、スイマーの推進力を説明するために物理法則を研究し始めたのは、1960年代の終わりとされています。
その中でも、James E.Counsilman博士 (インディアナ大学)と Charles Silvia氏 (スプリングフィールド大学) の二人は、水中観察の悔過、以下の様に報告したと言われています。
スイマーは、外輪船の水車の様にヒジを伸ばしたまま腕を回しているのではない。あらゆる泳法において、水中でヒジの曲げ伸ばしを繰り返しながら進んでいる。
スイマーはニュートンの第3法則によって生じる力を推進力として使っている。
Counsilman博士は、1968年に、Silvia氏は、1970年にそれぞれ別の著者でこの様に発表しているようです。
ニュートンの第3法則 = 作用反作用の法則
つまり、抗力によって推進力を得ているという考え方です。
【👉こちらの記事でも解説しています】
この辺りから、「手のひらで後方に水を押す」 という指導が普及し始めます。
水泳の研究の歴史ストレートバックプル理論の登場
当時のスイマーたちは、前述したニュートンの第3法則に沿って指導を受けていたようです。
手と腕をパドルの様に使って、
前から後ろへと水平に水を押し、
できるだけ長く水をかくようにする。
さらに、手はできるだけ体の中心線の下を通す。
ストロークの前半は、肘を徐々に曲げ、
ストロークの後半は、肘を徐々に伸ばす。
この様な指導を受けていました。
これをストレートバックプルと呼ぶようです。
この理論が確立されたのは、1970年代。
この記事を書いたのは2025年なので、50代後半の方達が丁度世代です。
僕が成人の指導をしている時も、このストロークが良いと聞いたことがあると質問されるのも丁度この世代です。

Swimming Fastest p25 より引用
水泳の研究の歴史S字型プル理論の登場

Swimming Fastest p25 より引用
先ほども伝えたように、ニュートンの第3法則 (抗力) によって進むという理論が普及し始めたころ、できるだけ真後ろに水を押す様に指導する専門家も多かったようです。
理由は、それ以外の方向に水を押すと、進行方向と違う方向に推進力が発生していまい、水の抵抗が増え、スピードも低下すると考えられていたからです。
しかし、Counsilmanと Silviaを 含む多くの専門家たちは、研究の中でトップスイマーの水中映像を分析している時に、立体的なS字の軌道に沿って手が動いている事を発見します。
ストロークの前半は、手が体の真下の深い位置に向かって移動し、ストロークの後半は、手が体の横の浅い位置に向かって移動する。
この様な軌道が明らかになったのです。
このことから、先ほどの理論を否定したようです。
Counsilman らは、トップスイマーがS字型に腕を動かした理由を、次のように考えました。
手の位置を変えながら水を押せば、広い範囲の水を押すことができる。
これは、手のひら1つ分の面積を長く押し続けるよりも効率がよい。
また、水へ力を加えると、その水は後ろへ流れ始める。
流れている水を押すには、腕のスピー ドを上げる必要がある。腕を徐々に速く動かさないと、スイマーは減速する。
したがって、入水からフイニッシュまで、ストローク動作を加速し続ける必要がある。これでは、スイマーの労力が明らかに増える。当然、疲労も早くなる。
反対に、水中で手の位置を変え、 S字型に動かせば、後方へ流れている水を押すのではなく、常に新 しい水を押すことになる。このほうが、力を節約できる。
つまり、水をただ後ろへ押すと水が流れるので、押す水も軽くなってしまう。
その状態で、前に進むのであれば、理論上、腕をぶん回し続けなければいけない。しかも徐々に加速させる必要がある。
でも、S字のプルなら常に新しい水を押すことになるので、この懸念が無くなる。つまり、楽に速く泳げる。
これが、S字プルの理論です。
水泳の研究の歴史押すだけじゃない水泳の推進力
もちろん、S字型プルの理論には異論もありました。代表的なのは、「S字の軌道を目指して手を大きく曲げると、抵抗が増えてロスが出る」という批判です。
これに対し、S字プルを支持する人たちは、「軌道が多少複雑でも、強い推進力を生む位置を通ることの方が重要である」と反論します。
実際、研究者たちが指摘しているのは、人間の体の構造上、「水をまっすぐ後ろにだけ」押すことはできないという事実です。
そして、仮にそれができたとしても、それが最速の方法とは限らないという点です。
ここで重要なのは、「S字かI字かといった軌道の形そのもの」ではなく、「手が最も強く水を捉えられるポジションをどう通るか」という本質的な問題です。
この視点を基に、ストロークの科学的な研究はさらに進みました。そしてここから、 「揚力による推進力の理論」 が本格的に登場していきます。
水泳の研究の歴史揚力による推進力の理論が登場
初めてスイマーのストロークの軌道を明確に示したのは、Brown氏 と Counsilman氏 (1971)。
彼 らは、スイマーの指先にライ トをつけ、真っ暗なプールを泳がせるという画期的な実験を行い、この様子を撮影した映像によって、本当のス トロークの軌道が明らかになったのです。

Swimming Fastest p27 より引用
※実際は体が前に進んでいるので、図の軌道ほど大げさには動いていません。
あくまで“体が止まっていたらこう見える”という説明用の図です。
ストローク研究が進む中で、研究者たちは気づき始めました。
「スイマーの手は、まっすぐ後ろではなく、上下左右に大きく動いている」そして「その斜め方向の動きこそが、強い推進力を生み出しているのではないか」
BrownとCounsilmanは、ス トローク動作の上下左右への動きこそが推進力の秘密だと考え、ニュー トンの作用・反作用の法則で説明する従来の理論に疑間を抱きはじめました。
そして、この疑問に答えるために注目されたのが、ベルヌーイの原理(揚力の原理)です。
水泳の研究の歴史ベルヌーイの原理が主流の時代
ベルヌーイの原理とは??

名前だけ聞くと難しそうですが、実はとても身近な現象です。
「飛行機の翼が空を飛べる」
「カーブを投げた野球のボールが曲がる」
こうした現象を説明するのが「揚力」です。
簡単に言うと、流れが速い方の圧力は低く、遅い方の圧力は高い。この圧力差が「持ち上げる力」を生むという法則です。
Counsilman氏 と Brown氏は、人間の手のひらも翼に似た形をしていることから、飛行機の翼と同じ様に「揚力」を発生させているのではと考えていました。
ベルヌーイの原理によってスイマーが推進力を得ていると説明した図が下の図です。

Swimming Fastest p28 より引用
先ほど触れた通り、実際のスイマーは腕を単に後方へ振るだけでなく、体の中心方向にも動かしています。この腕の動きによって、手の周りには「抗力」と「揚力」という2種類の力が生じる、と彼らは説明しました。
とてもざっくり言えば、次のようなイメージです。
【手の甲側】
水をあまり捉えられないので、圧力(抗力)は低く、水の流れは速い(スカスカ流れる)
【手のひら側】
水をしっかり捉えるので、圧力(抗力)が高く、水の流れは遅い(重たく感じる)
このように、手の甲側と手のひら側に圧力差が生じ、その結果として「抗力」と「揚力」が組み合わさって推進力が生まれる、と考えたわけです。
つまり、手の動きと水の流れの関係は、飛行機の翼で揚力が発生する原理(ベルヌーイの原理)と似ている、と彼らは捉えていました。
人間の泳ぎは飛行機よりはるかに複雑ですが、もしスイマーがベルヌーイの原理に沿って推進力を生み出しているとすれば、腕や手を動かし続けることで、その力が水面に浮かんだスイマーの体へ伝わり、結果として体が前進することになります。
こうして、ベルヌーイの原理にもとづく推進力の理論は、少なくとも約20年間にわたって、広く受け入れられてきました。
水泳の研究の歴史ベルヌーイの原理に対する疑問
「そもそもこの理論を人間の泳ぎにそのまま当てはめるのは無理があるのではないか」そんな疑問が起こり始めました。
少し、難しい話ですが、ベルヌーイの原理が前提としているのは、翼の上側を流れる流体の分子が、翼の表面から離れずに滑らかに流れつづけている状態です。
翼のような物体にぴったりくっついて流れている流体の層を「境界層」と呼びます。
境界層が安定していると、流体は翼の表面に沿って一定方向に、乱れずに流れます。このとき、翼の上と下で大きな圧力差が生まれ、揚力が発生しやすくなります。
反対に、翼の上側で流れがはがれて乱れてしまう(乱流になる)と、翼の上の圧力が高くなり、上下の圧力差が小さくなってしまいます。
つまり、ベルヌーイの原理による揚力が働くためには、「表面に沿って流体が安定して流れていること」が前提条件になるわけです。
人間の手は、飛行機の翼のように左右対称でなめらかな形ではありませんし、表面も完全につるつるではありません。そのため、手の表面に翼と同じような安定した境界層ができるとは考えにくい、という指摘があります。
これが、「水泳の推進力をベルヌーイの原理だけで説明するのは難しいのではないか」とされる大きな理由です。
ここからは、ベルヌーイの原理に基づく推進力理論への反論を紹介していきますが、その前にもうひとつ重要な考え方を押さえておきます。それが「迎え角」です。これは、Swimming Fastestで何度も出てくる重要なキーワードです。
水泳の研究の歴史|ベルヌーイの原理に対する反論補足:迎え角とは何か?
ベルヌーイの原理にもとづく理論が広まるにつれて、「水に対して手のひらがどれくらい傾いているか」が盛んに研究されるようになりました。
なぜなら、手の甲と手のひらの圧力差は、手の角度によって大きく変わると考えられたからです。
手が動いている方向に対して、手のひらがどれくらい傾いているかを表す角度を「迎え角」と呼びます。たとえば、手が進んでいる方向に対して、手のひらがちょうど正面を向いているとき、迎え角は90度になります。逆に、進行方向に対して手のひらが真横を向いているときは迎え角0度です。
このとき、親指側が先頭になっていても、小指側が先頭になっていても、迎え角は0度と定義されます。
迎え角を正しく測定するためには、まず「手が実際にどの方向へ進んでいるか」をきちんと把握する必要があります。
さらに、手のどの部分が最初に水をとらえ、どの部分が最後に水を通過するのかも確認しなければなりません。これによって、手のまわりに働く抗力と揚力の向きがはっきり分かるからです。

Swimming Fastest p28 より引用
例えば、手を内側に動かすときは親指側が先に進み、最後に通過するのが小指側になります。この場合、抗力は親指側から小指側に向かって働きます。
反対に、手を外側に動かすときは小指側が先行し、抗力は小指側から親指側に向かって働きます。
手を下方向に動かすときには指先が先に進み、手首側が最後になるので、抗力は指先から手首側へ向かいます。
上方向に動かす場合はその逆で、手首側から指先に向かって抗力が働きます。
また、手の表面を流れる水は、手のひらの中心に沿ってまっすぐ流れているわけではありません。実際には、常にある程度の角度を持って流れています。この流れの向きを表す角度を「後退角」と呼びます。
たとえば、図1-8では、スイマーのひじから手首にかけて描かれた矢印が後退角を示しています。この図のスイマーは、外側・上・後ろ方向に手を動かしており、手のひらはやや外側・上向きになっています。その結果、水は小指側の手首付近から親指側の指先に向かって流れていく、というイメージになります。
迎え角を測定することで、「スイマーの手のまわりを水がどの方向に流れているのか」も明らかになります。図1-8のaとbに示されているように、このスイマーの手の迎え角は50度です。本来は迎え角を3次元的に測る必要があるため、少なくとも2方向(横からと真下からなど)から観察しないと正確には評価できません。そのため、この図でも横から見たものと真下から見たものの2種類が示されています。
ここまでの準備を踏まえて、このあとベルヌーイの原理による推進力理論に異議を唱えた研究を4つ紹介していきます。
因みに、ベルヌーイの原理を否定しているわけではありません。あくまで、「人の手の場合、ベルヌーイの前提条件が満たされていない = 主役の理論にはならない」 事を実験的に示したというニュアンスに近いです。
水泳の研究の歴史ベルヌーイの原理に対する反論4つ
水泳の研究の歴史|ベルヌーイの原理に対する反論①Ferrellの研究

1991年、Ferrell氏は、タフトで「水の流れ」を可視化した実験を行いました。
グラスファイバー樹脂で人の手の模型を作り、「ベルヌーイの原理にもとづく揚力が本当に発生しているのか」を調べたのです。
手の甲側には、長さ2cmほどの細いテープ「タフト」を無数に貼り付け、迎え角(手の傾き)を0〜40度、手の移動速度を0.3〜3m/秒の範囲で変えながら、水流の中に置いて撮影しています。インスイープ動作を想定し、親指側を先行させるなど、合計45通りの条件で実験が行われました。
この実験のポイントは、タフトの動きから手の周りの水流を“目で見て”判断できることです。もし手の表面に安定した境界層ができていれば、タフトはきれいに小指側へ向かってそろって流れるはずです。
ところが、実験ではタフトが激しく揺れ、流れる方向もバラバラで、流れを遅くして迎え角を小さくしても整いませんでした。
この結果から、「スイマーの手の周囲には強い乱流が発生しており、手のひらから境界層が剥がれている」と結論づけています。
つまり、人間の手ではベルヌーイの原理が前提とするような整った境界層ができず、ベルヌーイ型の揚力は水泳の推進力にはほとんど貢献していないのではないかと結論付けたのです。
水泳の研究の歴史|ベルヌーイの原理に対する反論②Bixlerの研究
1999年には、Bixler氏が工学の専門家として、コンピュータ流体力学で手の周りの流れを解析を行いました。
スイマーの手と腕をコンピュータ上で再現し、流速・流れの向き・圧力といった条件を変えながら、水がどう流れ、どれくらいの抗力や揚力が発生するのかを解析したのです。イメージとしては、「コンピュータの中に風洞をつくり、その中に手のモデルを置いて実験している」ようなものです。
シミュレーションの結果、水は手の表面に沿ってきれいに流れるのではなく、手を通り過ぎる前に表面から離れてしまうことが分かりました。Bixler氏は「境界層が手から剥がれてしまうため、スイマーが生み出す揚力はベルヌーイの原理では説明できない」と結論づけています。
さらに、ベルヌーイの原理が最初に考えられたときには「流体に摩擦がない」「境界層が物体から離れない」といった理想条件が仮定されており、人間の手のような複雑な形状には当てはまりにくいという点も指摘しました。
ここで大事なのは、Ferrell氏とBixler氏が「揚力そのものの存在」を否定しているわけではないことです。
彼らが疑問を投げかけているのは、「スイマーの揚力発生をベルヌーイの原理だけで説明しようとする考え方」の部分です。Bixler氏はさらに手と腕を含めたモデルでも実験し、迎え角や水流方向を変えながら揚力と抗力を比較しました。
その結果、どの角度でも抗力の方が揚力より大きく、手と腕のように翼とかけ離れた形ではベルヌーイ型の揚力の寄与はごく小さいと報告しています。
水泳の研究の歴史|ベルヌーイの原理に対する反論③Holtらの研究
模型やシミュレーションだけでなく、「本当に人が泳いだときはどうなのか?」という疑問にも答えようとしたのが、Holt氏らとToussaint氏らの研究です。
1989年Holt氏は、ほぼ同じ100ヤード(約90m)のタイムを持つスイマーを集め、2グループに分けて実験しました。
一方のグループには手の甲側に「バッフル」と呼ばれる板を取り付け、手の甲側の水流を遮断することでベルヌーイ型の揚力が生じにくい条件をつくりました。
両グループに100ヤードを泳いでもらいタイムを比較したところ、バッフルを付けたグループは約2%タイムが遅い程度でした。
Holt氏らはこの結果から、「ベルヌーイの原理による揚力が実際の泳ぎに与える影響は、あったとしても非常に小さい」と結論づけています。
水泳の研究の歴史|ベルヌーイの原理に対する反論④Toussaint、van den Berg、Beekらの研究
一方、2000年には、Toussaint, Van den Berg, Beek らは、実際のスイマーの手と前腕にタフトを取り付け、低速・中速・高速の3パターンで泳いでもらう実験を行いました。
撮影した映像を解析すると、推進力を生み出している局面では「スイマーのひじから手の方向へ水が流れている」ことが分かりました。この予想外の流れは、研究者たちが用意していたどの仮説にも当てはまらなかったため、彼らはこの流れを「軸力(axial force)」によるものと名付けています。
軸力によって生じる水流は手の表面に乱流を起こし、安定した境界層の形成を妨げます。そのため、人間の手のまわりでベルヌーイ型の揚力が安定的に発生しているとは考えにくい、という結論に達しました。
ここでもやはり、「ベルヌーイの原理そのものが誤り」というより、「人間の手を翼と同じ条件で扱うのは無理がある」というスタンスが強調されています。
水泳の研究の歴史ベルヌーイ理論への疑問から生まれた「渦理論」
水泳の研究の歴史|新たな理論①渦理論
Ferrell や Bixler、Holt、Toussaint らの研究によって、「人間の手のまわりには安定した境界層ができず、ベルヌーイの原理だけで推進力を説明するのは難しい」ことが明らかになってきました。それでは、スイマーはどうやって揚力を生み出しているのでしょうか?
この疑問に答えるために提唱されたのが「渦理論」です。この理論を水泳に本格的に応用したのが、Cecil Colwin氏(1992年)です。
彼は、「たとえ境界層が手から剥がれてしまっても、手のまわりに発生した渦が圧力差を維持し、揚力を生み出している」と主張しました。

Swimming Fastest p32より引用
渦とは、ある程度まとまった量の流体が回転している状態のことです。飛行機の翼のような物体が流体の中を動くとき、物体の後ろ上方に「出発渦」と呼ばれる渦が発生します。作用・反作用の原理により、出発渦が一方向に回転すると、反対方向に回転する「束縛渦」も同時に発生します。
この束縛渦は、翼の周りを出発渦とは逆向きに流れます。翼の上側では、もともと流れている流体と束縛渦の向きが同じになるため流速が加速し、圧力が下がります。逆に翼の下側では流速が落ち、圧力が上がります。こうして翼の上下の圧力差がさらに大きくなり、流れが不安定でも揚力が発生しやすくなる、というのが渦理論の基本的な考え方です。
Colwin氏は、優秀なスイマーほど手の動きや形を変えることで渦の発生と剥離を巧みにコントロールしていると考え、「翼推進」と「フリングリング推進」という2つのメカニズムを提唱しました。
水泳の研究の歴史|新たな理論②翼推進:ストローク前半の揚力利用
簡単に言えば、手をはばたく翼の様に動かし、非定常な揚力・渦で前に進むという考えです。
難しく言えば、出発渦が存在している間に発生する揚力を利用する推進メカニズムです。
出発渦を手から離さないためには、手の周囲の水流をできるだけ安定させておく必要があります。上手なスイマーは、ストロークの序盤で注意深く腕を動かし、流れを安定させてから手を加速させます。
ただし、ストロークの方向・スピード・迎え角は刻々と変化するため、安定した水流を維持できる時間は非常に短いのが現実です。ストロークの方向やスピードが変わるたびに、古い出発渦が手から離れ、新しい出発渦が発生します。
Colwin氏 によれば、出発渦の発生と剥離を操る能力こそが水泳技術の鍵であり、技術レベルの高いスイマーは必要に応じて自在に出発渦を発生・剥離させる能力を持つと考えていました。
水泳の研究の歴史|新たな理論③フリングリング推進:方向転換の瞬間に生まれる加速

簡単に言えば、手を素早く開閉して強い渦を作り、その反作用で大きな力を得るという考えです。
ストロークの方向・スピード・迎え角を大きく変えた瞬間、手の周囲の水が後方へ投げ出され、その反作用でスイマーの体が前方へ加速します。
手から剥がれた境界層や出発渦が輪のような形になることがあるため、「フリング(投げる)」「リング(輪)」と呼ばれています。
図1-11には、ストロークの最終局面でフリングリングによってスイマーが加速する様子が示されています。
この局面では、内側から外側へ向かって手を動かしますが、動作を始めると手の周囲に出発渦が発生します。手が水面近くに達すると、急激に手の移動速度が落ち、この瞬間に出発渦が手から剥離します。その反動でスイマーは前方に加速する、というのがこの理論です。
水泳の研究の歴史渦理論の課題
渦理論はもともと空力学(飛行機の翼など)の原理に基づいて考案されたもので、魅力的なアイデアではありますが、いくつかの課題も指摘されています。
最大の問題は、手や足の周囲に束縛渦が実際に確認できないことです。
もしスイマーが束縛渦を維持できないのであれば、翼推進やフリングリング推進で揚力が大きくなるという理論は成り立ちません。
確かにスイマーの手から渦が離れていく様子は観察できますが、それが乱流によるものなのか、剥離した束縛渦なのかを区別する方法はありません。
また、人間の手のように流線型をしていない物体の周囲には束縛渦が発生しないことや、束縛渦が形成されるには時間がかかることも証明されています。
さらに、渦理論が正しければストローク方向が変わった直後にスイマーの体が加速するはずですが、実際の速度計測では方向転換直後に減速していることが確認されています。
こうした理由から、「渦理論(翼推進・フリングリング推進)は「理論としては興味深いが、実証的には疑問が多い」という評価が現在の主流です。
水泳の研究の歴史まとめ|ニュートンの第3法則へ
今回は、水泳における推進力研究の歴史をざっと振り返ってみました。
ここまで見てきたように、かつては「飛行機の翼」のように手のひらを扱うベルヌーイの原理や、渦の流れに着目した渦理論によって、水泳の推進力を説明しようとする試みが数多く行われてきました。
しかし、現在では「ベルヌーイ型の揚力だけで水泳の推進力を説明するのは現実的ではない」という見方が主流になっています。
では、人はなぜ水の中で前に進めるのか?
そこで鍵になるのが、ニュートンの第3法則、いわゆる「作用・反作用の法則」だと考えられています。
ニュートンの第三法則そのものの内容や、水をどう押せば推進力を最大限に生かせるのかについては、こちらのコラムで詳しく解説しています。
ぜひ、併せて読んでみて下さい。
それでは👋
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