【自由研究】 水泳の歴史について

【自由研究】 水泳の歴史について

今回は歴史のお勉強です。人はいつから泳ぎ始めたのでしょうか?
そして、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライはいつどの様にして生まれたのでしょうか?
スイサポ的自由研究と題して、水泳の歴史を辿ってみたいと思います。

水泳の歴史 | 水泳の起源は?

水泳の歴史水泳の起源は??

そもそも泳ぎは四足動物が持つ自然能力と言われており、人間はもちろん、犬・馬・猫・牛も生まれながらにして泳ぐ事ができます。しかし、その能力がいつ、どこから始まったものなのかは分かっていないようです。

さて、歴史上で人間が泳いだとされる記録が残っているのは、紀元前5000年からナイル川下流域に発展した古代エジプト文明。ピラミッドの内部には無数の壁画やヒエログリフが描かれたり、刻み込まれており、その中に明らかに人が泳いでいる姿が描かれているようです。

水泳の歴史古代エジプト人と水泳

水泳の歴史:品川区(大井町・大崎・五反田)/江東区(豊洲・有明)/杉並区(高井戸)/吉祥寺/横浜市都筑区(北山田)の水泳個人レッスン:スイサポ

※水泳指導教本第3班 p3より引用

ナイル川とともに生きた古代エジプト人にとって「泳ぎ」は生活に欠かせない身体活動であったと言われています。
特に、川を挟んでの戦闘(水上、水中戦)で泳ぎは大活躍したそうです。その具体例として、古代エジプト第19王朝セティ1世が、ヒッタイト王の真歌なるを破った「カディッシュの戦い」があり、この戦いを描いた図では、スピードが最も速いクロールに似た泳法で泳いでいる戦士の姿が見られ、さらに溺者に対する救助方法と組成方法についての知識の深さも見られたようです。

溺れた戦士の脇を支えながら泳ぎ切った救助者を陸上に引き上げようと膝と腰を2人の男性に支えられながら手をいっぱいに伸ばした兵士の様子も描かれており、この救助方法は、現代の救助法であるヒューマンチェーンの原型と言われています。また、その横で完全に溺れてしまった選手を逆さに吊るして水を吐かせ、何度も振り動かして蘇生させようとする姿も描かれており、これは一昔前まで世界各地で行われていた手法とも重なるようです。


水泳の歴史 | 世界の水泳史

水泳の歴史水泳が一般的に普及するまでの軌跡

古代文明はその多くが大きな川を起点に発展してきたと言われています。もちろん水がないと人間は生きていけないからです。その為川を挟んで異民族同士が戦闘を繰り返してきました。紀元前800年頃、アッシリア王家が軍隊を率いて渡河する様子を描いたレリーフには、平泳ぎや横泳ぎで泳ぐ兵士の姿や、動物の革を膨らませた浮袋上の器具などが描かれています。
この辺りまでは、武芸として水泳を扱っていたようですね。

古代ギリシャのスパルタでは、水泳は武芸の一つとて推奨されていたそうで、様々な泳法を研究してきたと言われています。さらに、古代ローマでは、水泳が非常に盛んになり、一般公開された水浴場は800か所以上あり、中には広大な敷地に1,000人を同時に収容できるスケールの建造物もあったようです。この辺りから水泳が一般的にも楽しまれるようになりました。

ローマ時代になると温水プールが誕生し、水泳がかなり普及されるようになりました。そして、18世紀になると、青少に対する体育思想の発達や溺者救助事業の開発、さらには屋内プールの登場によって水泳が降盛し始めます。 
水泳を青少年に教えるとなると、指導者が必要です。様々な説はありますが、1587年にエベラルド・ディグビィによって水泳に関する書物が書かれており、これが最古の文献だと言われています。そして、1798年にグーツ・ムーツが「水泳の教科書」を著しています。

水泳の歴史水泳が競技として発展するまでの軌跡

1846年に「公衆浴場と選択場設立推奨法」がイギリス議会を通過して浴場設置が進み、そ絵に伴いスイミングプールもイギリス各地に続々と作りられていきます。ここでいよいよ水泳がスポーツとして普及されることになるのです。

19世紀にはいるとイギリスの産業革命以後、スポーツの近代化と中産階級であるブルジョワジーが賭けレースを行うようになり、水泳も競技化の色を強めることになりました。その過程で競泳が誕生します。

19世紀後半には、ニューヨークやロンドンで遊泳協会ならびに水練学校などが設立されていきます。これは愛好者が作るクラブのようなもので、実際には指導するまでには至っていないようです。こうした学校などで水泳についての研究進み、次第に成果が表れ始め、水泳に対する世間の理解も得られるようになりました。

こうして、水泳はスポーツとして普及していったのです。

水泳の歴史水泳の歴史 | 競泳時代の幕開け

競泳という競技がオリンピックに登場したのは1896年古代オリンピックのことです。
当時は現代のように4泳法(クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ) という概念はなく、自由形が種目として存在していました。
実はこの時代で自由形と言えばクロールではなく、顔を付けない平泳ぎが主流の時代だったようです。

因みにそれぞれの種目は、平泳ぎ→背泳ぎ→クロール→バタフライの順番で登場したようです。ではどの様に発展したのでしょうか?詳しく調べてみましょう。

水泳の歴史:平泳ぎ

最初に登場したのは平泳ぎです。平泳ぎは最も古くからある種目であり、無理なく水に浮いて前進するのに適していて、しかも長時間泳いでいられるからだそうです。前述したように、当時自由形と言えば平泳ぎでした。より速く泳ぐために様々な種目が開発されていきますが、伝統的な平泳ぎ残すために「平泳ぎ」という種目として後に採用されます。
平泳ぎが正式種目(自由形ではなく、平泳ぎとして独立した種目)になったのは1903年のことで、翌年の1904年に開催された第3回セントルイス・オリンピックでは440ヤード平泳ぎが種目として採用されました。

水泳の歴史:背泳ぎ

背泳ぎが泳がれ始めた当初は、人命救助に便利な泳ぎとして取り入れられていました。
当時はまだ、自由形という概念しかなく、新たに登場したこの背泳ぎが主流となり始めました。そして、1900年の第2回パリ・オリンピックで背泳ぎが正式種目に採用されました。当時の背泳ぎは、ダブル・バック・ストロークという「足はカエル足で両手を同時に回す」という方法だったようです。
1910年前後、アメリカのハリー・ヘブナーが得泳ぎにバック・クロールを採用し始め、その後世界各国で改良が進み、現在の背泳ぎが一般的に行われるようになったのは、1924年の第8回パリ・オリンピックの時だそうです。

水泳の歴史:クロール

19世紀前半は平泳ぎと背泳ぎが主流でしたが、19世紀後半になると、よりスピードの出る「抜きて泳法」が多く用いられました。
1873年8月、アルゼンチンに旅行に出かけたイギリスのアーサー・トラジオンは、現地人のインディオがこれまで見たことのない速さで泳ぐ人を目撃します。これをヒントに編み出されたのがトラジオン・ストロークで、腕はクロール、足はあおり足という泳法でした。日本の早抜き手と類似したこの泳ぎがクロールの原点と言われています。

1902年、イギリスのリチャード・キャビルが、初めてイギリスにオーストラリアンクロールを輸入したとされています。この泳法はあおり足の代わりにバタ足を使用するもので、これまで以上に速いスピードが出せるようになり、現在のクロール泳法に発展していきました。

水泳の歴史:バタフライ

1930年代後半から平泳ぎの新泳法として登場したバタフライ。当時の平泳ぎのルールは、「両手を前に出し、後方へ同時にかくべし」というものでした。
1935年頃、キッパス率いるアメリカの平泳ぎ選手達はこルールを利用し、新泳法のバタフライを開発します。当時は平泳ぎとバタフライが混泳していましたが、1952年のヘルシンキ・オリンピックにて平泳ぎとバタフライの混泳が禁止さ、1953年にバタフライとして独立した種目に採用されました。
因みに、この1953年ヘルシンキ・オリンピックに早稲田大学の長沢二郎が出場し、1954年6月にドルフィンキックを発明します。日本大学の石本隆とともに大幅な記録更新を実現し、今日バタフライ泳法の確立へと導いていったそうです。

まとめ

今回は、水泳の歴史についてまとめていきました。平泳ぎが最初に登場し種目とは驚きでしたね。
たまにはこの様な調べ物も楽しいですね。また機会があれば水泳に限らず、様々な事柄の歴史を調べてみたいと思います。

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